【本の感想】阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』

阿部和重『インディヴィジュアル・プロジェクション』は、渋谷の映画館で働く映写技師オヌマの、4ヶ月にわたる日記という体裁の作品です。

スパイ養成所 高踏塾に、5年間入塾していた過去をもつオヌマ。オヌマは、今や、高踏塾と縁を切り、身を隠すように暮らしていました。ある日、オヌマの元へ仲間の死の報がもたらされます。ヤクザからプルトニウムを奪ったことへの報復か。それとも、高踏塾の粛清にあったのか。拡大するトラブル、そして元同志イノウエの陽動に、オヌマの思考は乱れに乱れてしまいます・・・

あらすじを書いてしまうと謀略小説のようですが、これは全く違います。

オヌマが現実逃避のかっこうで入塾したのは、マサキという胡散臭い男の開いた私塾です。マサキの指導を仰ぐ塾生たちは、訓練の一貫で、暴力団組長を誘拐し、プルトニウムを強奪してしまいます。もうこの時点で現実味がありません。どこかがぽっかりと抜けているのです。この違和感は、本作品の最後まで続きます。

マサキを失い、塾を抜けたオヌマに次々に降りかかる暴力沙汰。その過程で、オヌマは自分自身と他人の区別がつなかくなっていきます。Individual Projection(個人的な投影)は、自我が拡大していく様を表しているようです。徐々に、オヌマの日記が真実であるのか、オヌマの頭の中の出来事なのかが判然としなくなります。オヌマの願望を充足するめの人格が形作られているのか、それとも単なる妄想か。自己というアイデンティティの崩壊は、フィリップ・K・ディックの作品に見られるような心許なさを喚起します。

結末までオヌマの錯乱が続くかと思いきや、最後の3頁で、ひっくり返されます。冒頭のフリオ・イグレシアスの歌詞から始まるこの物語は、束縛からの脱却へ 、いう大きなテーマに沿って流れているようです。ここで、好き嫌いが別れそうです。どうでしょうか。

著者は、その昔、J文学の旗手のようなポジションでした。J文学って結局、なんだったのかな。

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