【本の感想】ネヴィル・シュート『渚にて 人類最後の日』

ネヴィル・シュート『渚にて』

地球の滅亡が決定的となったら、人々はどのように残りの時間を過ごすでしょう。愛する人と一緒に?、それとも、この際だから思いっ切りイケナイことしちゃう?

ネヴィル・シュート(Nevil Shute)『渚にて 人類最後の日』(On The Beach)(1957年)は、世界の終末の情景をじっくりと描いた作品です。

本のみならず、映画でも度々扱われるテーマですから、”最期の日”は人々を惹きつけるのでしょう。自分にとっては、人たることを試される究極の恐怖の時です。

中ソ戦争に端を発した第三次世界大戦が勃発し、北半球は、核のために壊滅してしまいました。放射能は、徐々に全世界を覆い尽くしていきます。今や、核の難を逃れたオーストラリアの人々にも、最期の日へのカウントダウンが始まります・・・

リチャード・マシスンの終末もの『終わりの日』は、破滅を目前とした時の、人々の暴徒と化していく姿が鮮烈な作品でした(これも名作なので是非お読みあれ。中村融、山岸真 編『20世紀SF』第二巻に収録されています)。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します

本作品は、『終わりの日』と随分、様相が違います。人々は、最期の日まで普段と変わらない日々を送ろうとするのです。タイムリミットが近づいていることに気付きながら、世界が永遠に続くが如く振舞います。

オーストラリア海軍将校ピーターとメアリー夫妻、アメリカ人の潜水艦艦長ドワイト、ピーター夫妻の友人モイラ、科学者ジョンを通して、滅びていく世界が映し出されていきます。

美しい花々を咲かせるため、庭の手入れに余念がないメアリー。故国が壊滅していることを知っていても、妻子のためにプレゼントを探すドワイト。タイピストを目指し、学校に通い始めるモイラ・・・

登場人物たちは、明日がないことを理解しているにも拘わらず、明日を夢見ざるを得ません。挿入されるエピソードの中に垣間見えるのは、彼らのギリギリの精神状態です。しかし、自暴自棄に陥るでもなく、狂気に囚われるでもない。徐々に変化していく暮らしぶりに、粛々として従う人々。現実逃避ではなく、諦念の境地のようです。だがら、悲愴さが一層、際立つのです。

本作品には、運命に抵抗する人々は一切登場しません。徐々に放射能に蝕まれ、静かに命が消えていくのを待つのみ。そこには、儚くも美しい人間の尊厳を感じることができるでしょう。なるほど、本作品は文学としても通じる名作です。

さて、自分なら最期の日をどう迎えるか、と考えてみるなら、是が非でも生き残ろうとはしないだろうというのが結論です。人類が絶滅するなら、あっさりと身を委ねるでしょう。恐怖を感じながらも、敢えてこれまでの日常を続けていくという点では、本作品の登場人物と同じです。残念なのは、恐らく大量の積読本を読み切れないことかな(天寿を全うしたとしても読み切れないように思いますが)。

本作品が原作の、1959年公開 グレコリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス 出演 映画『渚にて』はこちら。

1959年公開 グレコリー・ペック、エヴァ・ガードナー、フレッド・アステア、アンソニー・パーキンス 出演 映画『渚にて』