【本の感想】大江健三郎『性的人間』

本の感想 大江健三郎『性的人間』

大江健三郎『性的人間』は、『性的人間』(1963年)、『セヴンティーン』(1961年)、『共同生活』(1959年)の三作品が収録された中編集です。

結論からいってしまえば読後感がすこぶる悪い。著者がセクシュアリティをテーマとしている時代の作品ということですが、主人公が内省的で閉塞感が強く、読んでいてへこんできます。ウジウジした人間の暗い部分を見せつけられているような気になってしまうのです。ただ、これは好きか嫌いかの次元の話であって、作品に力があるということには相違ありません(マイナス方向だけど)。

■性的人間
前半部、後半部と分かれていて、前半部は別荘に集う男女の放埒な痴態が描かれます。さすがに露骨ではないけれど、淫蕩さが匂い立つようです。主人公Jは同性愛が露顕したことによって妻が自殺してしまった過去を持っています。それでも、流されるまま新しい妻の目の前で別な女性と戯れるのです。このJの心の闇が印象的です。

後半部は、痴漢を繰り返すことによって、精神生活を安定させようとするJが描かれます。痴漢の経験を詩作しようと試みる青年との出会い。そして、その青年の死を通して、Jが辿りつく先は何であるか。Jは、刹那的な反社会的行為によって、自己の存在を証明しようとしているようです。この行動原理は、頭では理解できます(あくまで頭では)。しかし、痴漢を性的本能として露骨(というか露悪)に描いているので、なんとも居心地が悪いのです。

■セヴンティーン
自涜行為に明け暮れる良いところなしの17歳の少年が、ふとしたきっかけで右翼化していくまでが描かれます。本作品は、第二部の『政治少年死す』が出版差止めされているいわくつきの作品です。確かに本作品だけでは、物語として完結していることにはなりません。けれど、いじけてひねくれた少年の心のうちが、強固な右傾向へ変貌を遂げていく様が面白いのです。本作品も、17歳の頃の性的にも精神的にも青臭い部分が際立っていて、なんだか恥ずかしくなってしまいます。

共同生活
部屋の中に猿が住み着いているという妄想に取り憑かれた青年を描いています。部屋の四隅に鎮座した猿達に見つめられながらの生活をおくる青年。青年は、なすすべもなく、猿達が出て行くように仕向けるという消極的に態度を続けていきます。ところが、徐々に社会生活に影響が出始めるようになって… とつづきます。『性的人間』、『セヴンティーン』に比べると、知名度は少ないのかもしれませんが、この作品が本書では一番好みです。精神的に不安定な青年の内面を描いているものの、先の二作品に比べるとさほど読後感は悪くはないのです。本作品が自己の存在を性的なものと結びつけていないからなんでしょうね。