多読を戒め、真に良いものだけを読めと薦める表題作「読書について」その他、「思索」、「著作と文体」の3篇を収めています。怒って、ぼやいて、ため息ついて…。読書の持つ新たな一面を発見することができる名著で…
【本の感想】ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』
ピエール・バイヤール(Pierre Bayard)『読んでいない本について堂々と語る方法』(Comment parler des livres que l’on n’a pas lus? )(2007年)は、タイトルから想起されるような、ハッタリや知ったかぶりのためのノウハウではなくて、読書に対する真摯な態度を著したものです
自分は、公の場で読んでいない本について語ることはないのだけれど、本に向き合う視座という意味で、本書に強い感銘を受けました。
まず著者は、本とそれに関わる様々な要素の全体像を、<共有図書館>として定義します。本を語る時は、それぞれの要素ではなくて、要素間の把握であるから、本そのものを読んでいないことは障害ならないと述べています。ここで語られる本は、不断に再編成された<遮蔽幕としての書物>であるとのことです。なるほど、皆が本を語るとき、それはその時々の言葉によって、本そのものを遊離してしまうのかもしれません。
次に著者は、<共通図書館>の下位に、自身の中に作り上げてきた<内なる図書館>を定義します。そして、本は、集団や個人に内在的かつ理念的な<内なる書物>によって、単一の言説対象になれないと述べます。物理的に同一の本であっても、個人に取り込まれてしまえば、他人にとっての本とは無関係な集合体になってしまうのです。ある本は、<共通図書館>の諸々の本の全体の一つの要素であって、<内なる書物>との親和性によって評価を下すことができるのならば、本そのものを読んでいなくとも良いということなのでしょう。
さらに著者は、<ヴァーチャル図書館>と、それに属する<幻影としての書物>を定義します。本をめぐる話題の中で、無意識が交差するところに立ち現れ、その気になればフィクションの領域に変えることができるとします。これを独創的な創造を促す方法と捉えるならば、本から一定の距離をとり、本にあまり拘泥しないことが前提であると述べています。著者は、高いレベルの、創造の世界の開き方を結論として提示していくのです。
驚いたことに、著者は参照する本をそこそこにしか読まずに本書を著していると述べます。本書の内容を、そのまま本書で実践していることになりますね。本書は、活字中毒者にとって、実に示唆に富んだ読書論でしょう。いや、美術や映画においても応用が効きますから、芸術論として読むべきなのかもしれません。<共有美術館>や<共有映画館>という概念を持ち込むことは、十分に可能なのです。
加藤周一『読書術』には、本を読まない「読書術」と題して、ハッタリのススメが述べられています。比較すると、自分には本書の論考の方がしっくりくるようです。(リンクをクリックいただけると感想のページに移動します)
まぁ、「読んでいない本について堂々と語る」より、「その本、読んでいません。機会があれば目を通します」って”堂々と”言うのがてっとり早いよね。
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